ラーメン史コラムvol.20

六厘舎(朝つけめん)

『ブームの連鎖とネクストブランドが広めた多様性』

前回のコラムで紹介した「96年組」が人気店になった1998年頃から、ラーメンブームが様々なメディアに広まっていった。テレビでは、98年の元日に放送された「TVチャンピオン」の特番で、和歌山の「井出商店」が「日本一うまいラーメン」と紹介され、本店と、その後出店した新横浜ラーメン博物館店に大行列を呼んだ。

出版界ではタウン誌で頻繁にラーメン特集が組まれた。中でも東京の大手タウン誌「東京ウォーカー」が1999年に「ラーメン1000杯」を掲載した特集号を発行。そのライバル誌として発刊された「TOKYO★1週間」では1998年からラーメン連載のコーナーが設けられ、後の「TRY」に繋がっている。他にも、首都圏では複数の出版社が毎年ラーメンムックを発行し、地方ではタウン誌などがラーメン特集やラーメン本を発行して、各地の新店や人気店が紹介されていった。

メディアの動きが活発になると共に、様々なラーメンがトレンドになった。1999年頃には「和歌山」「旭川」「徳島」などの「ご当地ラーメン」に脚光が当てられ、2001年頃からは「函館ラーメン」などから「塩ラーメン」が話題に。その頃、塩ラーメンも人気だった「支那そばや」をきっかけに「自家製麺」がトレンドになり、自家製麺の「頑者」などが2005年頃からの「つけ麺」ブームを牽引した。そして、つけ麺が人気の「六厘舎」が立ち上げた「ジャンクガレッジ」が、2007年頃からの「まぜそば」ブームの一角を支えた。この一連の流れから分かるように、一つのブームで脚光を浴びた店が、新たなブームを作り上げてきたと言える。

八代目けいすけ(フグ出汁潮ラーメン)

次々と続いたラーメンブームを盛り上げたのは、先述した「ジャンクガレッジ」のような「ネクストブランド」が大きな役割を果たした。人気店が一つの味で店舗を広げるのではなく、その実績を保ちつつ異なるスタイルを提示して、次のブームへと繋いでいった。醤油ラーメンで人気を集めた「せたが屋」が、昼営業を塩ラーメン専門店の「ひるがお」にしたのはそのはしりと言える。「麺屋武蔵」や「けいすけグループ」などは、店舗ごとに異なる味で話題を集めていった。

ラーメンブームが10年以上続いていたが、決して同じ味がブームであり続けたわけではない。様々な味が話題になってラーメンの多様性が評価され、新たな味のブームが始まると多様化が更に広まった。2000年代のラーメンブームは、その多様性が土壌にあって花開いたと言える。

(山本剛志)