『ラーメンを語る人々』
戦前、ラーメンはすでに人々の生活に浸透しつつあったものの、ラーメンについてのまとまった言説は現れなかった。戦後になり、早い時期にラーメンを主題にした文章を執筆したのが「暮らしの手帖」編集長の花森安治氏である。1953年、花森氏は「週刊朝日」のコラムとして「ラーメンの街札幌」を発表した。札幌ラーメン、そしてご当地ラーメンが全国に紹介された端緒である。花森氏はその後、「暮らしの手帖」においても札幌ラーメンを取り上げ、「味の三平」などを紹介した。
多田鉄之助氏は戦前から食味評論家として活動していた人で、ラーメン好きとしても知られていた。1972年には「たべもの日本史 万葉の味からラーメンまで」を上梓した。ラーメン教室を主宰していたこともあり、自身の刊行する雑誌で卒業生が開業したラーメン店を紹介していた。
「ハワイ・マレー沖海戦」、「馬」などの映画や黒澤明監督の師匠として知られる山本嘉次郎監督は食通としても有名で、食関係の本を何冊も書き、随筆でラーメン店を紹介した。「東京横浜鎌倉食べ歩き地図」は簡単なメニュー、住所、電話番号のみのシンプルな構成の地図付きガイドブックである。1972年、1974年の2回刊行されているが、74年版に各ジャンルの東京五傑が掲載されている。武内伸氏(後述)がそのラーメン五傑を友人から見せてもらい、春木屋を知り後にラーメン評論家となったことは知っている人も多いと思う。
1970年代の初め頃、唯一のラーメン評論家として雑誌に紹介されていたのが寺戸正治氏である。パスタ技術研究協会代表、フード&パスタジャーナル主幹(ここでのパスタは麺類全般の意味)の肩書を持つ製麺業界の関係者であったようだ。「食品と科学」誌などでラーメン業界の状況を解説する記事を執筆していた。釧路や鹿児島のラーメンを重視するなど、興味深い指摘が見られる。
日本初のラーメン本と言われる大門八郎(おおかどはちろう)氏の「ラーメンの本」が刊行されたのが1975年3月である。大門氏は寺社巡りや健康法など、幅広いジャンルで執筆した文筆家であった。そして7月に刊行され、惜しくも2番目となったのが中村勝彦氏の「らーめん太平記」。中村氏はスポニチの文化部長だった人で、出版もスポニチである。「ラーメンの本」が店紹介とラーメンのレシピを交互に掲載するスタイルなのに対し、こちらは歴史、ご当地などの蘊蓄、インスタントラーメン、レシピ、50軒紹介という幅広い構成になっている。
同じ75年秋に出版された季刊「食食食(あさめしひるめしばんめし」という雑誌に「東京ラーメン穴場十傑」という記事が掲載された。雑誌のラーメン店紹介の記事としては初期のものだろう。執筆者は自動車販売会社の社長だった小宮山弘氏である。情報の少ない時代、ドライバーのネットワークから集めたのかどうか。10軒のうち、残っているのは(そのままではないが)、「東池袋大勝軒」と「永楽」だけだと思われる。この記事には多田鉄之助氏のラーメン随筆も掲載されていた。
「月刊アングル」1978年2月号 「徹底調査 味自慢のラーメン屋75店」は情報誌のカタログ的ラーメン店特集としては最初のものと思われる。当然だが閉店した店が多い。一方、三田二郎の山田店主や永福町大勝軒の草村店主の写真が掲載されている。
ここで絶対に外せないのは日本ラーメンファンクラブ名誉会長の林家木久扇(初代林家木久蔵)師匠である。木久扇師匠は「笑点」などでラーメンをネタにしてきたが、1981年に著書「なるほど・ザ・ラーメン」発売し、「全国ラーメン党」を結成した。その後も「全国ラーメン党」の活動に加え、ラーメン関係の著書も数冊執筆するなど活発な活動を続けている。
1982年には料理評論家の山本益博氏による「東京味のグランプリ100」が刊行された。東京の飲食店をミシュランガイド方式で評価するもので、ラーメン店も多数取り上げられた。「丸福」「春木屋」を高評価したことが荻窪ラーメンの人気化に影響を与えた。
この頃からグルメブームが盛り上がり、映画「タンポポ」(1985年)の公開も相まって「愛川欽也の探検レストラン」(1984〜1987年)などのTV番組でラーメンが取り上げられるようになった。
1984年には柴田書店から全国の名店を紹介する「東奔西走ラーメン巡り―全国実力派50店徹底ガイド」が発行され、1986年には文藝春秋からやはり全国各地のラーメンを実物大のカラー写真で紹介する「ベスト・オブ・ラーメン」が発行された。「ベスト・オブ・ラーメン」は好評を受け、その後続編やポケット版が発売された。
全国版のラーメン本としては、しばらく後になるものの、「支那そばや」の佐野実氏が関わった「全国ラーメン食歩記」(1993年)も知られている。
1990年12月にはグルメ雑誌「dancyu」が創刊された。1991年11月号のラーメン特集では「東池袋大勝軒」の山岸一雄氏がレシピを公開して話題になった。同誌はその後も数年おきにラーメン特集を組んでいる。
1992年にはテレビ東京で「TVチャンピオン」の放送が開始された。同番組の「ラーメン王選手権」はラーメンファンがプロの情報発信者となるための登龍門となった。1992年の「第2回ラーメン王選手権」で優勝したのが武内伸氏である。建設会社の社員だった武内氏はプロのラーメン評論家に転身し、「超凄いラーメン」(1996年)、「何回もいきたくなるラーメン店100 私が4000杯を食べたわけ」(1999年)などの著書や、TV出演を通じてラーメン文化の普及に努めた。また、佐野実氏とのコラボによってラーメン業界の発展に貢献した。
1995年の「第3回ラーメン王選手権」で武内氏を破り、第4回も連覇したのが石神秀幸氏である。ラーメンのトレンドセッター的な存在となり、「鶏白湯ラーメン」などの用語も発案したとされる。2000年代の初め、毎年のように発行された彼のガイドブックはラーメンファンの注目の的となった。
「第4回ラーメン王選手権」で惜しくも準優勝となった北島秀一氏もプロの評論家として活動した。武内氏との協働によるご当地ラーメンの調査や、冷静な筆致による評論は多くの支持を集めた。
1990年代半ば、インターネットの普及が進展した。広告会社の社員だった大崎裕史氏が開設したネット掲示板「東京のラーメン屋さん」(とらさん)は多くのラーメンファンが集うコミュニティに成長し、大崎氏も「自称日本一ラーメンを食べた男」として知られるようになった。その後、2005年には「株式会社ラーメンデータバンク」を設立し、ラーメンに関する情報提供、ラーメンイベントの運営などの事業を行っている。
なお、武内、北島、大崎の三氏は、日本ラーメン協会の設立に尽力した。
2010年代以降、SNS などの普及によってラーメンに関する情報発信は百家争鳴ともいえる時代に入ってきていると言えるかもしれない。現状についてはまた稿を改めることにしたい。
(河田剛)