
『文学者とラーメン』
ラーメンが登場する文学作品はその国民的人気に比べてあまり思い浮かばない。それでもところどころにラーメンが登場する作品はある。ただ、1950年代までは単語として「支那そば(蕎麦)」が非常に多く、一部が「中華そば(蕎麦)」、「ラーメン」はほとんど使われていない。
ラーメンと文学者との関わりでユニークなのは江戸川乱歩(1894〜1965)である。随筆「妻」の中で始めた古本屋が性に合わず、弟に任せて自分は支那そばの屋台をひいてチャルメラを吹いたことを書いている。
林芙美子(1903〜1951)は作品中に支那そばが登場することが多い。映画編でも紹介した「浮雲」をはじめ、「放浪記」、「泣虫小僧」、「貸家探し」、「下町」などに支那そばの描写がある。「下町」は終戦直後、復員兵の男と夫が抑留され消息不明になった女の物語である。二人は浅草に遊びに行った帰りに旅館に泊まることになるが、そこで食べるのが支那そばである。「下町」は後に三船敏郎、山田五十鈴に主演で映画化もされた。
太宰治(1909〜1948)も「創生記」、「善蔵を思う」などに支那そばの描写がある。

最もラーメンを取り上げた作家は坂口安吾(1906〜1955)かもしれない。「遺恨」、「人生案内」、「ぐうたら戦記」、「市井閑談」、「熱海復興」など多くの作品に支那そばが登場する。彼の特徴は他の作家のラーメンが情景描写のごく一部であることが多いのに対し、ラーメンが重要な役割を果たす作品が存在することである。「遺恨」は終戦直後に貧乏生活を送る梅木先生が支那そばを支那そばを気軽に食べる学生への遺恨を晴らすため、中華料理屋で支那そばを二杯食べるという話である。中華料理屋での話が短編小説のかなりな部分を占めている。「人生案内」は手打ちの中華麺を売る製麺業者の男が、機械式の製麺の登場で商売が苦しくなり、人生相談にのめり込むという一風変わった小説である。安吾は熱海の「幸華」という店を贔屓にしており、支那そばや五目そばを好んで食べていたと伝えられている。「熱海復興」にはこの店が熱海大火で被害を受けたことが書かれている。「幸華」は現在も熱海で営業を続けている。

川端康成(1899〜1972)の「浅草紅団」は昭和初期の浅草の様子を活写した小説だが、この中にも現在の墨田公園の付近に支那そばの屋台があったとの描写がある。また、当時浅草にあった老舗の蕎麦屋萬盛庵が紹介されているが、ここの末っ子が九州小倉に移り、あえて東京風の醤油味を提供する店として1955年に始めたのが「耕治」である。
ここの常連だったのが小倉に住んでいた松本清張(1909〜1992)である。この店のフカヒレラーメンが特にお気に入りだったそうである。「耕治」は2024年の火災で焼失したものの、再建に向けて動き出している。松本清張はその後、京王線浜田山駅近くに転居し、「たんたん亭本店」を時々訪れていたという。
推理小説繋がりでは、森村誠一(1933〜2023)のデビュー作「不良社員群」の主人公は、総合商社の即席ラーメン課の社員であった。森村誠一自身は浅草の「来集軒」などを訪れているようである。
随筆では、食通で知られた池波正太郎(1923〜1990)、丸谷才一(1925〜2012)、開高健(1930〜1989)にラーメンを取り上げた作品があるし、内田百閒(1889〜1971)の「阿房列車」には青森でしなそばを食べる場面があるが、詳しくは次回以降に譲りたい。
最近はあまりラーメン関係で目ぼしい文学作品が無いようだが、新しいラーメン文学の登場に期待したい。
(河田剛)