ラーメン史コラムvol.19

麺屋武蔵

『96年組によるラーメン界の地殻変動』

今ではインフラとして、当たり前に存在しているインターネット。しかし、その歴史は古くなく、一般市民がインターネットに接続できるようになったのは1990年代半ば。それより10年ほど前にはパソコンに電話回線で接続する「パソコン通信」が一般的だった。「NIFTY-serve」などの大手商用サービスでは、掲示板で情報交換が盛んに行われ、ラーメンに関する情報もやり取りされていた。また、新横浜ラーメン博物館は「ラーメンネット」と名付けた草の根BBSを開設し、ラーメンの情報交換を行っていた。

1995年に発売された「Windows95」がインターネットに接続する仕組みを追加したことで、インターネットは社会に浸透し、ラーメンの世界にも大きな影響を与えた。当時広告代理店勤務だった大崎裕史氏が「東京のラーメン屋さん」を開設するなど、様々なラーメン情報サイトが作られ、掲示板などでのラーメン情報の交換が加速した。

そんな時期である、1996年に開店したラーメン店が話題を集めた。青山一丁目(後に新宿に移転)「麺屋武蔵」、中野「青葉」、横浜センター北「くじら軒」の3軒は、後に「96年組」と呼ばれるようになった。

青葉

もちろん、1996年には他にも多くのラーメン店が開店しているが、この3軒が「96年組」と呼ばれるようになった事には、他の店への影響力が挙げられる。
「麺屋武蔵」は、秋刀魚煮干しなどの個性的な食材を使う事や、季節ごとに限定ラーメンを提供しするなどした。
「青葉」は、これまでのラーメン専門店では珍しかった「つけめん」をレギュラーメニューに置いた事と、複数の具を組み合わせた「特製」トッピングという仕組みを考案した。
「くじら軒」は、レトロ風内装を施した店舗で香味油をラーメンに活用し、ラーメン店のサイドメニューとして「チャーシュー丼」を導入したことが挙げられる。

くじら軒

「96年組」の影響力は、当時のインターネットサイトによって更に増幅された。「麺屋武蔵」の限定ラーメン販売初日には、ラーメンサイトの管理人や、掲示板に集う「ラーメンフリーク」が列を成していた。「青葉」のスタイルを模倣したラーメン店は「青葉インスパイア系」と呼ばれ、「くじら軒」の味などに影響を受けて開業した「中村屋」に代表されるラーメンは、後に「神奈川淡麗系」と評されるようになった。

「96年組」という言葉が出てきた2000年前後から、ラーメンブームは一層加速し、年々新しいトレンドが生まれていくことになった。

(山本剛志)