ラーメン史コラムvol.18

『90年代のラーメンブームの広まり』

ラーメンを含め、庶民向けの気軽な食べ物を「B級グルメ」と呼ぶが、その言葉が初めて使われたのは1985年とされる。その年に「男女雇用機会均等法」が制定され、「男は仕事、女は家庭」という固定概念が崩されはじめ、飲食店が女性客も意識するきっかけにもなった。それまでは「汚くてもウマければいい」と言われてきたラーメン店も、「女性が入りやすい店舗」が登場するようになったのもこの時期のこと。東京恵比寿では、オシャレなネオンサインが注目を集めた「ラーメン香月」が、福岡ではスタイリッシュで清潔な店舗で臭みのない豚骨ラーメンを提供する「博多一風堂」が、共に1985年に開店した。

1990年には雑誌「東京ウォーカー」が創刊し、「ぴあ」が週刊誌に。「街の情報」を集めるこれらの雑誌では、気軽に食べられる「B級グルメ」の特集がしばしば組まれ、その中でも「ラーメン」の登場機会が多くなった。1992年開始の「TVチャンピオン」では「ラーメン王」「ラーメン職人王」が放送されるなど、テレビでもラーメンの企画が繰り返し登場し、メディアの定番ネタとして取り上げられ、ラーメンの知名度はますます高くなっていった。

この時期の東京では、様々なラーメン店が開店した。1987年に開店した「なんでんかんでん」が、当時の東京では珍しかった博多豚骨ラーメンで環七ラーメンブームを起こした一方で、あっさり系の醤油ラーメンにも新しい流れが生まれていた。1989年に吉祥寺で開店した「一二三」は「無化調」を提唱。現在は閉店したものの、うま味調味料に頼らないラーメン作りというスタイルは、後のラーメン店にも影響を与えた。同年に開店した目黒「かづ屋」は、多くの名店を輩出し、1992年開店の「ちばき屋」は、和食職人としての経験とセンスを活かした和風ラーメンで人気を集めた。「半熟味玉」や、夏季限定の「冷やしラーメン」など、東京のラーメン店ではそれまで見られなかった新概念も打ち出している。

 

ちばき屋

1994年3月6日、「新横浜ラーメン博物館」がオープン。入場料を払って昭和レトロの世界観の中に入り、ラーメンを味わうというスタイルは前例のないものだった。開館まで4年をかけたプロジェクトだが、出店したラーメン店からも「最初は詐欺かと思った」と言われるなど、出店に踏み切る店が見つからずに苦労したという。8店舗が出店したが、「全国各地のラーメンを飛行機に乗らずに食べに行ける」のコンセプトが話題を集めて人気スポットに。「一風堂」と「すみれ」は、ラー博出店をきっかけに全国区の知名度を得ることになった。また、後に期間限定で出店した「井出商店」が大行列を作るなどして「ご当地ラーメンブーム」を牽引し、2000年代以降も話題を集め続けて「ラーメンの聖地」とも呼ばれ、日本のみならず、海外からも注目されるスポットになっている。

(山本剛志)