「中野生まれ、中野でブレイクしたつけ麺」
ラーメン店でもすっかり人気メニューになり、東京では専門店も生まれている「つけ麺」。その発祥は1955(昭和30)年の事と言われている。当時、中野区橋場町にあった「大勝軒」で店長を務めていた山岸一雄氏が、修業時代からまかないで食べていたものがルーツにあたる。
まかないを作る余裕もない程に忙しい中、麺を湯切りする時にこぼれた麺を集めておき、湯呑にスープと醤油を入れ、もりそばのように食べていたという。その姿を見た常連客から頼まれて提供するようになり、商品化を決意。茹でた麺を水で締め、スープには酢や砂糖を加えるなどの改良を加えて「特製もりそば」の名前で提供し始めた。
「特製もりそば」は人気メニューになったが、大勝軒が属する「丸長のれん会」の各店舗でも「一度茹でた麺を水で締めるのは手間がかかる」「今も繁盛しているのだからメニューを増やさなくても」という否定的な意見もあったという。しかしその人気ぶりを見て、丸長のれん会の会合で、山岸さんが各店主に作り方を披露し、メニューに加える動きが広まる。「丸長」「丸信」などの各店舗では「つけそば」の名前で提供するようになるが、それぞれが独立した店舗なので、それぞれに個性的な味付けで人気になっていく。山岸さんは1961(昭和36)年に東池袋の「大勝軒」を構えて独立し、2007年の閉店まで「特製もりそば」を作り続けた。
1970年代には、「つけ麺」の名を初めて使ったチェーン店「つけ麺大王」が人気を集めたが、その後は下火になっていた。今のようなつけ麺ブームを生んだきっかけは、同じ中野に1996年に開店した「青葉」である。メニューが「中華そば」「つけ麺」のみのこの店が人気を集め、「青葉インスパイア」と呼ばれるラーメン店が多数開店した事で、2000年前後につけ麺をメニューに加える店が一気に増加した。東池袋大勝軒の弟子や孫弟子が人気店になるなど、つけ麺人気は不動のものとなっていった。
つけ麺発祥の地である中野では、今も「大勝軒」がその存在感を発揮している。つけそばの麺はもちろん自家製で、もっちりした食感。鶏ガラ・豚骨・魚介系素材による澄んだつけ汁は、口の中にさっぱりした後味を残してくれる。
(山本剛志)