第3回『北海道の三大ご当地ラーメン』
前回のコラムで「日本三大ご当地ラーメン」について取り上げたが、今回は「北海道」の三大ご当地ラーメンについて。「札幌」「旭川」「函館」の3大都市のご当地ラーメンは、それぞれが「味噌味」「醤油味」「塩味」として知られている。知名度は高く、インスタントラーメンのネーミングにも地名が用いられている。
現代では、道都の札幌から各地に影響を与えたと考えがちだが、人々が鉄道や船で移動していた戦前は、道南から開発が進んだ。当時、札幌市より人口が多かった函館市では、華僑が経営する「南京御料理 養和軒アヨン」で1884年に「南京そば」が提供されていたという記録がある。どのような料理だったかは不明だが、中国南部から海産物の買い付けに函館を訪れていた人たちがいたという事から、広東で食べられていた塩味の中華麺と考えても不自然ではない。現在「函館ラーメン」と呼ばれるスタイルも、豚骨・鶏ガラから取ったスープに細ストレート麺で、中国の麺料理のスタイルを継承しているように映る。塩味の「支那そば」は函館だけでなく、戦前の札幌市内の喫茶店や食堂でも提供されていた。
竹家食堂
塩味の次に北海道で広まったのは醤油味だが、そのルーツは1922年の札幌「竹家食堂」とされる。山東省出身の料理人による「肉絲麺」をベースに、日本人向けにしていった味が、戦前期の札幌の中華料理店で広まった。「竹家食堂」は、1933年の旭川に「芳蘭」を立ち上げ、旭川にも中華料理を広めていった。
「旭川ラーメン」を広めたのは、1947年にラーメン提供を始めた「蜂屋」「青葉」がきっかけ。動物系と魚介系のスープをブレンドし、低加水麺を合わせている。両店に麺を提供していた製麺所「加藤ラーメン」の奮闘もあって、旭川市内にこのスタイルのラーメン店が増えた。
蜂屋
戦後の札幌市内でも、しばらくは醤油ラーメンが主流であった。中でも人気店として知られた「龍鳳」は、豚骨ベースのスープとモヤシなどの野菜を中華鍋で合わせる、今に通じる「札幌ラーメン」のスタイルを確立させた店である。そのきっかけは、太麺を茹でる時間を客に感じさせない工夫からとされている。
その「龍鳳」店主の松田勘七氏は、味噌ラーメンの誕生にも大きく関わっている。後に「味の三平」を創業する事になる大宮守人氏にラーメン屋台を始めさせ、味噌ラーメンの開発にあたっても相談を受けていたという。もちろん、スープと野菜を中華鍋で合わせる形も味噌ラーメンに活かされている。
あじさい
「函館」は塩味、「旭川」は醤油味、「札幌」は味噌味に特化していると思われがちだが、決してその限りではない。特に札幌ではかつて、ラーメン好きから「三味揃ってこそラーメン店」という声も出るほどだった。北海道の三大ご当地ラーメンは、その街で閉じた存在ではなく、それぞれのエリアを交差しながら広まり、北海道のラーメンシーンを支えていく存在になったと言える。
(山本剛志)