「煮ていないのに煮卵」
私は多感な高校時代を赤羽という街で過ごした。
放課後、ただただ、家には帰りたくなくて、毎日あてもなく赤羽を友人と彷徨い歩いていたある日、なにげなく目についたラーメン店「ゆうひ屋」に入った。当時の私はラーメンと言えば、伸びきった出前ラーメンかカップ麺しか食べた事がなく、ラーメンにも興味をそれ程もっていなかった。初めて食べた「ゆうひ屋」はそんな私に衝撃を与えた。
赤羽らしい昭和のレトロな街に似合うノスタルジックな店舗。そんな外観からは想像できなかったスッキリと透明で煮干しが体にじんわりと染み込むようなスープ、細目でしっかりとスープが絡む麺、味の染み込んだチャーシュー、私たちはその味の虜になった。
しかしながら、その味以上に一番の衝撃を受けたのが、トッピングの半熟煮卵であった。「ゆうひ屋」が半熟煮卵を日本で初めて作った訳ではないかと思うが、私たちが半熟煮卵を見たのは「ゆうひ屋」が初めてであった。味がしっかりと染み込み茶色く変化しているのに、なぜ半熟のままなのか。私たちにとっては学校の試験よりも難しかったが、その答えを見つけるのに熱中した。煮ているのに半熟という矛盾。友人たちと学校からの帰り道で議論を交わし、わからないまま「ゆうひ屋」のラーメンを食べ、また考える。今考えると無意味だが、価値のある日々を過ごしていた。
ある日曜日の朝、祖母が漬物を仕込んでいる姿を見た時にふと脳裏に1つの仮説が浮かんだ。あれ?煮なくても味って染み込むのではないかと。半熟煮卵の“煮”に囚われすぎていたのではないかと。
次の日、居ても立っても居られず「ゆうひ屋」に行った時に店員さんに聞いてみた。答えは・・・正解であった。巨大な壁を1つ乗り越えた達成感。同じ難題を乗り越えることで友人たちとより仲良くなった気がした。
今では手にもっているスマホで簡単に答えが出てしまう。時には答えがみつからず、もがく事も大切なのだと思う。今でも答えがみえない問題に直面するたびに「ゆうひ屋」のラーメンと半熟煮卵を思い出す。
(フラミンゴばねお)