『「担々麺」も、日本で大きく変化した麺料理』
中華料理店だけでなく、ラーメン店でもお馴染みの「担々麺」。最近は担々麺専門店も増えているが、担々麺の歴史にも様々な出来事が起きている。
「天津飯」や「中華丼」など、日本生まれの中華メニューも多いが、「担々麺」自体は19世紀に中国四川省で広まり始めた麺料理である。茹でた麺と辛味をきかせたタレを入れた器を天秤棒で担いで、行商して売っていた。「担ぐ」から名付けられた担々麺は、温かい麺にタレを絡めた「汁なし担々麺」のスタイルであった。
日本では、担々麺は「汁あり」のスタイルに変化する。そのきっかけは、「四川飯店」を1958(昭和33)年に創業した陳建民氏のアイデアだった。当初はコース料理での締めの一品として「汁なし担々麺」を提供していたが、「汁なし麺」に接する機会が少なかった当時の日本人に評判は芳しくなかった。日本人の口に合うようにと考えた陳建民は、ラーメンのような「汁あり担々麺」を考案。四川では使われていなかった芝麻醤も加え、日本人にも評判を集める担々麺を作り上げた。
陳建民氏は、当時のNHKテレビ「きょうの料理」で中華料理を紹介していたが、麻婆豆腐や回鍋肉なども、本来の中華料理ではなく日本人にマッチしたレシピで紹介していた。担々麺も汁ありのスタイルで紹介した事で、日本では「担々麺=汁あり」として伝えられるようになった。
一方で、日本各地で独特な担々麺が広まりました。その代表格は「勝浦タンタンメン」。1954(昭和29)年に創業した勝浦市の食堂「江ざわ」では、担々麺をメニューに加えようとしたが、当時の勝浦では芝麻醤が入手できなかったため、醤油ラーメンにラー油と炒めた玉ネギを加えた独特のスタイルを考案。海で働く人たちを温める一杯として支持を集め、勝浦市内では様々な業種で「勝タン」が提供され、B-1グランプリにも出場を果たしている(写真は「江ざわ」の勝浦タンタンメン)。
また、神奈川県川崎市では、1960年代には「元祖ニュータンタンメン本舗」が開店。こちらは挽肉とニンニク、唐辛子を炒めたスープを麺にかけるというスタイルで、この味にインスパイアされたラーメンも出現していました。これらの担々麺は、「四川飯店」から生まれた担々麺とは異なるスタイルながら、担々麺の名前で浸透していきました。
一方で、21世紀に入って、日本でも「汁なし担々麺」が普及するようになった。きっかけは、広島市で2001年に限定メニューとしてはじめた「きさく」の汁なし担々麺。この味に惚れた「くにまつ」店主が2009年に広島市で開店。彼がそのレシピを公開した事で、広島市内に汁なし担々麺ブームが訪れた。東京では2007年に「四川担々麺 阿吽」が開店し、「まぜそば」ブームとも相まって、関東を始めとした全国に「汁なし担々麺」を提供するラーメン店も増加している。
(山本剛志)