ラーメン史コラムvol.16

香月

『80年代の激戦区にみる、東京ラーメンの歴史』

このコラムでは、しばらく全国各地のご当地ラーメンに関わる歴史をまとめてきましたが、今回からは東京周辺の歴史を紹介します。今回は「激戦区」についてまとめてみました。

 

全国から人が集まる東京では、繁華街に飲食店が集まって「激戦区」を形成してた。1910年に開店した「来々軒」があった浅草では、今で言う「町中華」スタイルの中華料理店が立ち上がり、日本初の「ラーメン激戦区」だったとも言える。

戦後、闇市ができた荻窪では多くのラーメン店が生まれた。「春木屋」「丸長」「丸福」などが立ち並び、「激戦区」の様子がメディアでも取り上げられた。蕎麦屋をルーツにした店が多く、鰹節や煮干しなどの乾物が使われたのがこのエリアのラーメン店の特徴。1987年には、東洋水産から「荻窪ラーメン」のカップ麺が発売されている。

70年代は「どさん子」などの味噌ラーメンや、「つけ麺大王」などのつけ麺が話題を集めた。80年代後半になってからは、雑誌やテレビで「ラーメン特集」が企画されるようになり、「ラーメン激戦区」と紹介されるエリアも出てくるようになった。

そのラーメン激戦区として、まずは「環七」が挙げられる。中板橋にあった「土佐っ子ラーメン」や、1984年に練馬区小竹町の「ラーメン一番」などの人気店があったが、1987年に世田谷区羽根木に開店した「なんでんかんでん」が話題を集めた。
1968年に東京進出した熊本ラーメンの「桂花」や、1984年に秋葉原で開店した「九州じゃんがら」と共に、豚骨ラーメンの人気店としてメディアで多く紹介された事もあり、なんでんかんでん目当てに車で環七に向かう人も結構いた。
しかし、その行列を見て他のラーメン店に向かう人も少なくなかったようで、「激戦区」が形成される要因になったと考えられる。

環七では21世紀に入ってからは、「せたが屋」や「田中商店(その後移転)」が開店し、人気店として定着している。

なんでんかんでん

なんでんかんでん

もう一つ、話題になった激戦区は「恵比寿」である。老舗の「恵比寿ラーメン」や、激辛ラーメンの「ひょっとこ」が話題を集めていたが、激戦区のきっかけは1987年に開店した「らーめん 香月」。ネオンサインの看板や、豊富なトッピングは当時は斬新で、メディアの話題を集めた。この3軒を中心に、様々な店が恵比寿に出店した。

1995年には博多の人気店「一風堂」が、東京初出店の地に恵比寿を選んだのも、「激戦区」の言葉があったからかもしない。

香月

香月

その後、東京近郊のラーメンの世界は更に変化していくことになります。次回はその変化を起こしたキーマンを紹介します。

(山本剛志)