ラーメン史コラムvol.9

『東北のご当地ラーメンの歴史~前編~』

『東北のご当地ラーメンの歴史~前編~』

日本全国に様々なスタイルを持つご当地ラーメンだが、中でも東北地方には様々なスタイルのラーメンがある。

【福島県】

「日本三大ご当地ラーメン」と表現する時、「札幌」「博多」に並ぶご当地ラーメンとなるのが「喜多方ラーメン」。喜多方ラーメンが知名度を高めたきっかけは、1982(昭和57)年に紹介されたテレビ番組だった。喜多方市は「蔵の町」として知られ、観光客が急増していた。団体客の滞在時間を伸ばして観光収入を増やしたい市職員がメディアに「まこと食堂」を紹介し、雑誌「るるぶ」でのPR記事でも喜多方ラーメンを紹介して全国的な知名度を得た。

喜多方ラーメンの発祥は、中国出身の藩欽星氏が1926(昭和2)年に引き始めた支那そば屋台。その味のノウハウは、喜多方の多くの食堂に伝えられた。その為、喜多方では多くの店が屋号に「食堂」をつけている。豚骨ベースの澄んだスープが主流で、会津若松市のラーメン店に「鶏清湯」が多いのとは異なる。「ご当地ラーメンによる町おこし」の元祖であり成功例として、「ラーメン神社」や、ハンバーガー・ピザ・丼など、喜多方ラーメン由来の派生グルメも創作されている。

福島県では、県南の白河市には「白河ラーメン」がある。汁粉屋だった「亀源」が1921(大正10)年に「手打ち支那そば」の販売を始めたのが発祥。その後も、多くの店で手打ち麺を提供している。「まるや食堂」でワンタンを作っていた竹井寅次氏が独立した「とら食堂」が人気を集め、息子の和之氏が受け継いだ今も行列を作り続ける他、出身者が全国に白河ラーメンの味と名を広めている。

ご当地ラーメンの存在感が強かった福島県だが、県内各地に様々なスタイルのラーメン店が出店し、全域が激戦区になっているのが福島県の現在である。

まこと食堂

【山形県】

庄内地方の酒田市で定着している「酒田ラーメン」は、1926(大正元)年に中国人が立ち上げた店が始まりとされ、昭和初期から店舗が急増したと言われる、自家製麺を熟成させた店が多く、煮干や焼き干し、昆布などから採ったスープとあわせている。製麺技術から生まれた、薄皮のワンタンを加えた「ワンタンメン」を看板にする店が主流になっている。

1920年代には、米沢市でも「支那そば」を売り歩く屋台が確認されている。その後、市内のカフェーのシェフだった常松恒夫氏が縮れ麺を考案し、熟成と共に米沢ラーメンの基本的なスタイルになっていった。食堂や蕎麦屋での提供を経て、現在も数多くの店が米沢市内で営業している。

戦後には、山形県内の各地で特色あるご当地ラーメンが生まれた。山形市内で1952年「冷やしラーメン」を考案した「栄屋本店」と、河北地方で人気の「鶏中華」を生んだ天童市の「水車生そば」は、共に人気の蕎麦屋だった。南陽市赤湯の「龍上海」は1960年に味噌ラーメンを考案し、辛味噌が乗った「赤湯ラーメン」として広まり、「龍上海」は新横浜ラーメン博物館に出店している。

龍上海

東北地方の中でも、ラーメン消費量が特に多い福島県と山形県にはご当地ラーメンも多く存在し、両県の歴史をまとめているうちに長くなりました。残りの4県については次回に続きます。