「カラシビ味噌らー麺 鬼金棒」
~ 三浦 正和さん ~
開店10周年「キセキの物語」コラムの第三回は、カラシビ味噌らー麺 鬼金棒(きかんぼう)の店主、三浦正和さんにお話を伺うことができました。
【人を喜ばせたい思い】
── 10周年おめでとうございます。三浦さんといえば「麺屋武蔵 二天」の初代店長ですが、ラーメン業界に入るきっかけは何だったのでしょうか?
専門学校の講師をやっていたことがあるんですよ。
── 飲食の専門学校ですか?
飲食ではなくてスキューバ―ダイビングの専門学校に行っていて、その専門学校を卒業してそこの講師を2年間やっていました。専門学校っていろいろな人が来るわけですよ。地方からとか、僕よりも年上の人も来るし、いろんなコミュニケショーンを取っていくじゃないですか。ラーメンが大好きだったので、地方から来た人たちを東京の美味しいラーメン屋に連れていっていたんですよ。
人を喜ばしたいなという気持ちが子供の頃からすごく強いんですよ。車でみんなをラーメン屋に連れて行ったら、うめーうめーって喜ぶ姿がすごく嬉しかったんですよ。それでまた違うラーメン屋にみんなを連れて行ってあげたりとか。ラーメン隊長と言われていたくらい。
そんなこともあって、24歳くらいのときにワーキングホリデーでオーストラリアに行って、仕事も全部捨てて行っているので帰ってきたときに何をしようかなと。自分の好きな事って何だろうって思って、やっぱり人を喜ばせることだなって。それは当たり前のことなんですけど、何で人を喜ばせられるかな、何が自分にとって一番気持ちよかったかなと思って、ラーメン屋に人を連れて行って喜んでもらえる姿が一番嬉しい気持ちというか、相手もハッピーになれるし、自分もハッピーになれる。それで、ただ店に連れて行くんじゃなくて、自分でラーメンを作れるようになれたらすごく嬉しいなと思って、そんなことを仕事にできたらいいだろうって思って。
【麺屋 武蔵との出会い、そして二天】
トータル2年くらいオーストラリアに行っていたんですけど、その間にラーメン屋がいろいろできているわけですよ。じゃぁ、またラーメン屋を食べ歩こうと。で、武蔵に行ったんですよ。食べたら美味しい。でも他にももっともっと美味しいなと思うラーメン屋がいっぱいあったんですけど、レストランとして、人を連れて行くって、トータルが大事だなって感じたんですよ。ただ美味しいだけじゃなくて。もう何この雰囲気って。
バーベキューって大空の下で、あの雰囲気で食べるから美味しさが増すじゃないですか。そういうようなものを武蔵が持っていたので、これは凄いと思って、すぐその場で電話をかけて面接お願いしますって。そこからですね。武蔵で10年間。新宿店で最初やっていて、そして青山店の方に行ってくれと言われて、青山に2年ぐらいいたのかな。その後、二天ですよね。
二天の準備をするころは、ラインに入ってたんで週一休みの日曜日を使って毎週、試作をしてたんですよ。その時は牛骨でやるって言って、タレの実験だとかスープの実験だとか、チャーシューをどうするかとか、天ぷらのせようとか、1週間に1回の試作をずっと繰り返していて。で、オープンする前に狂牛病が出てきて、牛はもうやめようって。今まで試作をして牛のラーメンベースでタレも作ってあれも作って色々やっていたものが全部おじゃんになって。それでカツオをがっつり効かせて、ちょっと濃厚な感じのラーメンにブタ天をのせる感じになって。
麺屋武蔵 二天の玉豚天ら~麺
【鬼金棒の誕生】
── 独立して鬼金棒をオープンさせるまではどのような流れだったんですか?
武蔵の社長に二天のローン期間を言われてたんですよ。自分の中にプレッシャーになるじゃないですか。売上出して会社に迷惑をかけないようにちゃんと期間内にローン返さないとダメだって。だから、この二天のローンを返し切ったら独立しようって二天をやる前に決めたんですよ。でローン期間とにかく頑張って返し切って、その返し切った年の年末に社長の所に行って、来年辞めます、独立しますので辞めますって言いに行って。そして、どんなのやるんだ?って事で唐辛子と山椒を使ったラーメンをやりたいんですよって相談をして、そっか面白そうじゃねえかって話で頑張りますって。
── なんで唐辛子と山椒のカラシビにいったんですか?
やっぱね、山椒を使いたかったんですよ。二天の限定で麻辣味噌ラーメンっていって山椒と辛さが選べるってやつをやったんですよ。豆腐を丸く切ってそれを揚げて、その丸から出たカスはスープの方にいれた味噌ラーメンで、揚げた豆腐に挽肉のジャンをのせて、そこに山椒とラー油をぶわーってかけて。山椒増しっていう人には山椒をぶわーっていっぱいかけたりしてて。
── その時に手ごたえがあった感じですか。
そのとき書き込みを見たら、あんな痺れる食い物はありえないみたいなことすごい書かれて。
── むしろ批判ということですか?
その批判が僕はすげぇと思ったんですよ。逆にインパクトが。痺れるって。知らない人が見たら痺れるって何って、その批判を見て食べてみたいって思うなって思ったんですよ。だからこれは絶対口コミで広がるなって。僕は美味しいと思ってたんで。痺れ最高って思って、これはいいと思って、独立したらこれ絶対やりたい、こんなラーメンを作ろうと思ってて。辛くて痺れる味噌ラーメンをやろうとずーっと思ってた。
── その限定の時はどんな切っ掛けで思いついたんですか?
原宿に東坡(トンポー)という麻婆豆腐屋があって、そこが宇宙一痺れる辛い麻婆豆腐って言われていて、結構当時食べ歩きをしていたんで、それに出会って。食べたら砂みたいなジャリジャリって感じ、なにこれって。こんな山椒って食べていいんだって思ったんですよ。だけど旨いんですよ。それに衝撃を受けて、次の日、速攻食材仕入れてあれをラーメンにしてみようと思っていろいろやって、醤油だと弱い、味噌はベースが強いからスパイスに負けないし、ばっちり合うなと思って。
── 鬼金棒のオープン前、唐辛子探されていて、確かお母様から紹介された唐辛子を使うことになったんですよね?でも、実家はラーメン屋さんじゃなかったですよね?
そうですね。もんじゃ焼き屋だったんですよ。今、独立した卍力がやっている場所が実家の跡地なんですよ。実家のもんじゃ焼き屋が西葛西にあって、でうちの母親からもうそろそろ歳だし体調もあまりよくないから店をしめようと思っているんだよねって相談を受けて、そのときのタイミングで、ちょうど卍力の店主の大橋が物件を探してて、うちの跡地でやってみたらどう?って話をして、ありがとうございますーってそんでそのままとんとん拍子で、そこで卍力を。
── 卍力の大橋さんもその場所でやるからには絶対頑張んなきゃですよね。
そうですよね(笑)。で、僕の弟と彼でオープンしたんで。二人でやっていますよ。頑張って。