ザッツ☆エンターテイン麺ト!vol.2

お茶漬けの味(1952)

お茶漬けの味(1952)

『ラーメンと映画 その1』

名監督とラーメン

巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の名作映画「山猫」(1963年)で、没落貴族(バート・ランカスター)に甥(アラン・ドロン)が言う次のような台詞がある。「現状を維持するためには変化が必要です」。
この台詞はその後多くの政治家や経営者に引用された。これを聞いてラーメン好きなら思い当たる言葉があるはずである。そう、「春木屋理論」である。「昔から変わらず美味しい」と言われるためには時代に合わせて少しずつ味を変えていかなくてはいけないという考え方で、一風堂創業者河原成美氏の「変わらないために変わり続ける」という言葉もその系譜の上にあるものだろう。この三つはそれぞれ独自に到達した思考だと思われるが、達人には通じるものがあるのか、奇妙な附合ではある。
それはさておき、日本を代表する大衆食であるラーメンは映画の様々な場面に登場している。最近では、今年大ヒットした菅田将暉、有村架純主演の「花束みたいな恋をした」での有村架純は、ラーメンブログを書いている女子大生という設定で「麺の坊 砦」でロケが行われていた。

小津安二郎監督

小津安二郎監督

時代を遡ると、日本映画黄金期の巨匠である小津安二郎監督は惜しくも火災で焼失した銀座の東興園を贔屓にしていて、映画の中でもラーメンを登場させている。戦前の「一人息子」(1936年)に始まり、「お茶漬の味」(1952年)、「早春」(1956年)、「東京暮色」(1957年)、「秋日和」(1960年)、遺作の「秋刀魚の味」(1962年)に至るまで、その回数は6度にも及ぶ。「一人息子」と「お茶漬けの味」には「ラーメンは汁がうまい」という台詞があり、小津監督がラーメン通であったことをうかがわせる。「一人息子」では「支那そばというちょっと変わった食べ物」という表現になっており、ラーメンはその時代はまだ珍しかったことを想像させる。
また、ラーメンが登場するシーンでは男女が壁を向いたカウンターに座り、横並びでラーメンを啜ることが多い。複数の人物が同じ方向、同じ姿勢で台詞を話すショットを好んだ小津監督にとって、ラーメン屋は都合がよかったのかもしれない。
「秋刀魚の味」では、笠智衆と加東大介が、恩師(東野英治郎)が定年後始めた旨くないラーメン屋に行き、オールドミスの娘(杉村春子)につっけんどんな接客をされるという場面があり、なんとも言えない哀愁を醸し出していた。

やはり日本映画屈指の名作である成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955年)では身をもちくずした高峰秀子が、かつて無理やり関係させられた姉の夫と闇市で出会い、一緒にラーメンを食べる。そこにはどうしようもないやるせなさが漂っていた。
日本映画の三大巨匠(小津、黒澤、溝口)の一人、溝口健二監督の遺作「赤線地帯」(1956年)にもラーメンを食べる場面があった。残念ながらもう一人の巨匠、黒澤明監督の作品にはラーメンは出てこない。

 

山本嘉次郎監督

山本嘉次郎監督

日本映画が衰退期に入った1970年代、藤田敏八監督、秋吉久美子主演による三部作の一作「バージンブルース」(1974年)では万引きを繰り返している予備校生(秋吉久美子)と脱サラしてラーメン屋を始めた中年男(長門裕之)が偶然出会い、旅に出るというもので、70年代の屈折した空気に設定がマッチしていた。

小津監督、溝口監督と同時代の名匠に山本嘉次郎監督がいる。黒澤明監督、「ゴジラ」で知られる本多猪四郎監督の師匠であり、食通としても著名であった。ラーメンをフィーチャーした映画は見当たらないが、食関係の書籍を何冊か書いている。山本監督が1973年に上梓した「たべあるき東京横浜鎌倉地図」に掲載されたのがきっかけで知名度を高めたのが「春木屋」である。そのガイドブックに東京ラーメン五傑として紹介されていた「春木屋」の味に惹かれ、後年ラーメン評論家となったのが武内伸氏である。その武内氏が「春木屋理論」を世に広めることになったのである。

【その2に続く】

(河田剛)